番外編その3:ハロウィンアップルは祖母の味
どれだけ時が経っても、民族性というのはそうそう変わることはない。今も昔も日本人は祭り好きだ。
そんなことを改めて実感しながら、レイトはミス・ジェサップの庭先に集まった子どもたちをなんとはなしに眺めていた。魔法使いに吸血鬼、悪魔に猫にかぼちゃ人間と、バラエティー豊かな格好をした子どもたちが期待のこもったまなざしでこちらを見つめている。頭に角をつけた引率役らしい少年が、子ども特有の高い声で「せーのっ」とかけ声をかけた。
「トリック・オア・トリートォ!」
元気いっぱいに発せられた魔法の言葉に、色づいた庭の木々もさわさわと楽しそうに枝を揺らした。そんな彼らに人の好い笑顔で応えたのは、ミス・ジェサップの店長である葉澄誠司だ。
「ハッピー・ハロウィン! さぁ、お菓子をどうぞ」
わっと歓声が上がり、次々と小さな手が伸ばされる。礼を言いながら菓子を受け取り、次の目的地へと向かう子どもたちの背を見送ってから、レイトはやれやれ、と凝り固まった肩を回してほぐした。
「ったく、ガキどもは元気だなぁ」
「レイトも行ってきてよかったのに。きっと仲間に入れてもらえるよ?」
「オレはガキじゃねぇっ!」
噛みつく勢いで怒鳴り返しても、誠司は白目がちな緑の瞳を細めていたずらっぽく笑うだけだ。その隣でアルバイトの野々宮葵もけたけたと可笑しそうに笑う。反論しようにも外見が外見だけに、子どもたちの仲間に入れてもらえそうなのは否定できない。
まったく、どうしてこんなことになったのか。反論をあきらめたレイトは、和やかに笑うふたりを背にそっと息を吐いた。
「こどもハロウィンパレード、ですか?」
その話がミス・ジェサップに持ち込まれたのは、朝晩がだいぶ肌寒く感じるようになった十月初旬のことだった。洗った食器を拭く手を止めて尋ねた誠司に、カウンターでお茶を飲んでいた婦人がそうなのよぉ、と返す。
「最近流行ってるじゃない? 楽しそうだし、うちの町内会でもやろうって話になったのよぉ。子どもたちが仮装してお菓子をもらいながら街を練り歩く、ってイベントなんだけど、今年はぜひミス・ジェサップさんにも参加してほしいなと思ってぇ」
「わぁっ、面白そう! 素敵ですねぇ。ねっ、店長!」
ぱぁっと顔を輝かせた葵が同意を求めて誠司を振り返ったが、誠司はどこかぼんやりした様子で手を止めたまま答えない。葵が不思議そうにもう一度呼びかけると、誠司ははっと我に返って、取り繕うように笑顔を浮かべた。
「ごめんごめん。ハロウィンパレード、いいですね。ぜひ協力させてください」
「ありがとう、助かるわぁ。今度詳細持ってくるわね」
上機嫌で帰路についた婦人を送り出して葵がカウンターを片付けている隙に、レイトは誠司の後を追って厨房に向かった。早速レシピメモを開いて配る菓子の検討を始めている誠司に、ためらいがちに声をかける。
「おい、セイジ……」
彼の様子が一瞬おかしかったことには、付き合いの長さもあってすぐに気がついた。なにせ、彼が生まれたときからずっとそばにいるのだ。いくら取り繕ってもレイトにはわかってしまう。
しかしそんなレイトの心配をよそに、目が合った誠司はにこりとほほ笑んで、
「ハロウィンパレード、楽しみだね」
と、それ以上踏み込ませない。あまりしつこく食い下がるのも気が引けて、レイトは当たり障りのない返事をしてから店内に戻った。
「あ、ねぇ、レイト」
ちょうど食器を下げ終わった葵が、ちょいちょいとレイトを手招きして呼んだ。葵は眉をひそめながら、心配げに厨房の方を見やった。
「店長、どうしたのかな。なんかちょっと変だったよね」
さすがの葵も、誠司の様子には気がついていたらしい。本人が言わないことを言うべきか否か迷って、レイトはがしがしと頭を掻いた。
「……まぁ、ハロウィンなんてしばらくやってなかったしな」
答えになっていないが、葵はそっか、とだけ呟いて、再び片付けに戻った。今いる客はひと組だけなので、そちらは葵に任せて自身は洗濯ものを干しに二階への階段を上る。かごに移した洗濯ものをハンガーにかけながら思い出すのは、誠司が今よりもだいぶ幼かった頃のことだ。
今でこそ人との関わり方を覚え、誰とでも柔軟に接することのできるようになった誠司だが、物心がつき始めた頃は本当に引っ込み思案な性格をしていた。いつもレイトや育ての親である祖母、ローズマリーの後ろに隠れ、どこへ行くにも手を引いてやらなければいけなかったのを覚えている。それは、時代を先取りしていち早く町で催されていたハロウィンパレードのときもそうだった。ひとりで行こうとしない誠司のまだ小さな手を引いて行列に加わり、一緒にお菓子をもらって歩いた。なかなか合言葉が言えず泣き出しそうになった誠司を励ましたり、足がもつれてまろびそうになるのを支えてやったりしたのはいい思い出だ。狭い歩幅で一所懸命歩いて集めたお菓子を手に帰り、出迎えてくれた祖母に最後のお菓子をねだるのが葉澄家の通例だった。
『ローズ!』
庭先でふたりを待っていた祖母を見つけるや否や、顔を輝かせて駆け寄ってゆく小さな背中を思い出す。誠司が唯一大きな声で合言葉を言えるのは後にも先にもローズマリーにだけだった。
『トリック・オア・トリート!』
『ハッピー・ハロウィン。セイジ、よく頑張ったねぇ。お菓子はたくさんもらえたかい?』
頬を上気させてうなづいた誠司のかごにローズマリーが入れたのは、りんごのショートブレッドだ。彼女はパレードの有無にかかわらず、ハロウィンには必ずその菓子を焼いていた。パレードの土産話をしながらもらった菓子を供にお茶をするのも、毎度の決まりごとだ。
『ぼく、ローズのおかし、いちばんすき』
ローズマリーの作ったショートブレッドを食べながら誠司がそう言ってはにかむたびに、ローズマリーも嬉しそうに笑みを深めていた。人間的な感情が薄い自分にとってさえ、あのときは幸せだったと思えるほど温かな時間だった。
成長してからは仮装パレードにこそ参加しなくなったが、それでもローズマリーが生きている間は家族でハロウィンを楽しんでいた。三時のお茶にはりんごのショートブレッドやナッツを使った焼き菓子がふるまわれ、夜にはアイルランドの伝統料理であるコルカノンやティーブラックが並んだ。その習慣が途絶えたのは、ローズマリーが亡くなった四年前からだ。
思えばその頃から、誠司はあまり他人に甘えなくなった。元からわがままや弱音はあまり言わない子どもだったが、急いで大人になろうとしているような素振りすら感じる。
「……急がなくても、いいんだがな」
ぽつりと漏れ出た呟きは誰にも届くことはなく、少しの余韻を残して消えていった。
十月末にもなれば、日が落ちてあたりが暗くなるのもずいぶんと早い。
パレードに参加していた最後の子どもたちを見送って、ミス・ジェサップの三人は店内に戻った。やわらかな電球の明かりが目に優しい。少しだけ余ったお菓子は、ひとつのかごにまとめられてカウンターの端に置かれた。
「みんな、お疲れさま。無事に終わってよかったね」
「お疲れさまでした! はー、さすがに夜になると寒いですね」
葵がかじかんでしまった手をこすり合わせながら、指先を吐いた息で温めた。余ったお菓子をちらりと見てから、そわそわと伺うように誠司を見やる。
「あの、店長……」
遠慮がちな態度が逆にとても分かりやすい。誠司はくすりと笑ってから、どうぞ、と促した。
「わぁい、トリック・オア・トリート!」
「ハッピー・ハロウィン。着替えておいで、お茶にしよう」
「やったー、ありがとうございます! ちょっと行ってきます!」
飛び上がって喜んでから、葵は制服を着替えにぱたぱたと二階へ上がって行った。カウンターの中でお湯を沸かす誠司に向かってぼそりと投げかける。
「……お前も、言っていいんだぞ」
突然の許しに、誠司は虚をつかれたように一瞬目を瞬かせたが、すぐに微笑んで瞼を伏せた。
「もう、子どもじゃないよ」
「うるせぇ。オレから見たら、お前だってまだまだガキだ」
急いで大人にならなくてもいい。甘えたいときは我慢しなくてもいい。
素直にそう言えなくて、レイトはテーブル席の椅子を引いてどかりと腰を下ろした。テーブルに頬杖をついてそっぽを向く。無理をして背伸びをしているさまは、痛々しくて見ていられなかった。
ふたりの間に流れていた静寂はやがて、湯の沸く音で満たされた。ふっと空気がゆるみ、足音が近づいてくる。
「レイト」
呼ばれて、レイトはそっと振り返った。誠司は一瞬照れ臭そうに若草色の瞳をそらしたが、すぐに視線をレイトに戻すと破顔一笑して告げた。
「トリック・オア・トリート!」
取り繕っていない、昔のままの、心からの笑みだ。レイトはその眩しさについと目を細め、緩みそうになる口元を引き締めながらウェスト・エプロンのポケットに手を入れた。
「しょうがねぇな。ハッピー・ハロウィン」
取り出した小包を、放るように渡す。まさかなにかもらえると思っていなかったのだろう。受け取った誠司は驚いた顔で小包とレイトを交互に見た。
「レイト、これって」
「お前の好きなやつ」
包みを開けた誠司の手が止まる。バターと焼けた小麦とりんごの甘い香りがふわりと宙に広がった。
「……ローズの」
呟いて、誠司は泣きそうな顔で笑った。細められた緑の瞳が滲んだ涙に揺れる。
「レイトが作ったの?」
「昨日、お前が寝てからな。昔よく手伝ってたから」
ローズみたいにうまく作れたかはわからねぇけど、と付け加えると、誠司はゆっくりと首を振った。
「ありがと、レイト」
ふにゃりと照れたように笑った誠司に、レイトもふっと頬を緩めた。
久しぶりに食べたリンゴのショートブレッドは、優しく、どこか温かい味がした。